夕焼けラジオ / 佐内佐那さん

 ――遙々エリアルハーツの地より外遊の用向きで訪れた国王も、本日ご帰国の由。国王は空想都市アルファの治安の良好さと、整備された都市構造、保護された歴史的建造物を高く評価し、再び訪れたい街のひとつであると語った。出立は第四都市デルタの港より本日夜半に出航する、我が国の誇る最新式の高速魔法帆船――。

 

 にゅっと伸びた手がお喋りなラジオのスイッチを切る。

 確かに電源のボタンを押したはずなのだが、音が止む事は無かった。代わりに、伸びやかなオペラの曲を流し始めた。古物屋は舌打ちすると、膝の上に休ませておいた夕刊をくしゃくしゃにしてカウンターに放り出した。

「まったく。この間買い替えたばかりだってのに、もう馬鹿になっちまったのか。これだから舶来屋のババアから仕入れる電器ものはアテにならねえ」

 罵倒とは裏腹に、大福ほどの大きさもある肉球で労わるように真っ赤なラジオを撫でる。それで直る訳ではないが、幾分音質の向上が見られた。

 格子窓から入って来る夕暮れの光に金色の瞳を細める。商店街を通る人の数もまばらになる頃だ。ゆらりと安楽椅子より立ち上がると、じわりと血の通い始める腰を手の甲で叩きながら店先へ向かう。料理屋ならともかく、日の傾いた時間帯から古物屋の戸を叩く客は少ない。

 場合によってはもう店を閉めたっていい。ぼさぼさの毛並みを片手で撫でつけながら化け猫が硝子のはめ込まれた引き戸へ手を伸ばした時。向こう側へ映る人影があった。

 こんな時間に。

 訝しげに細められた黄金の眼は、直後にまん丸い満月にも似て瞠られる。それと同じくして、ぱっと、紙芝居の場面ががらりと変わるように別人へ化ける。

 またたき一つの間も要さず、くたびれた化け猫の代わりにそこへ現れたのは、黒髪をきちんと撫でつけ整えた若い青年である。先んじて扉を引き開ければ、驚いた様子の客と目が合う。

 さて、さて。一目見た限りでは女性のようでもあるが、古物屋はかねてより彼の正しい性別を知っていた。実際に相対するのはこれが初めてでも、恐らくこの空想都市に居る誰もが、彼の事を知っているに違いない。

 

「――いらっしゃい。ウチに御用かい?」

 一見であっても上客には相応の愛想を振りまくのが、商売人としてのポリシーだった。ひょっとしたらこれから常連となってくれるかも知れないのだ。

 僅かな光にも煌めく宝石に似た瞳をまたたかせ、相手はようやく静かに微笑む。

「ああ……迷惑でなければ、店の中を見せて貰ってもいいだろうか?」

「もちろん。猫は夜行性ですからね、こちとらこれからが本番ってもんだ」

 古物屋の素性を知らない相手は不思議そうに首を傾げる。今こうして饒舌に店内へ招こうとする男が、実は黒猫であるだなんて夢にも思わないのだろう。いや――少しくらいは察しているかもしれない。世間擦れしていないように見えるが、勘は鋭そうだ。

「さあ、お客さん。今日は何をお探しで? ここらにあるのは全部中古ではあるが、質の高さはお墨付き。今じゃ手に入らん希少品も、上質なまんまごろごろしてる。絡繰り時計、星見の天盤、大陸発見の時に使われていた羅針盤なんてのもあるぞ。ああ、ご婦人がたにお土産なら宝石の類も」

「そうだな。……いま流れている曲は、録音したものを再生しているのか?」

「ん?」

 最初はニュース、次にオペラ。気紛れなラジオは現在、クラシックをしっとりと奏している。チャンネルを変えた記憶は無いのだが――片目を眇めてから、古物屋はにっこりと営業スマイルを浮かべた。

「いや、あれはラジオですよ。何の変哲もない普通の……」

 というより、壊れているのだが。そこまで正直に告白しようとしたが、反射的にやめる。見た所来客は他の品より、カウンターに放置してあるラジオへ興味を惹かれているらしい。

 値札などは店主の一存で剥がしたり付けたりできるのだ。小さく忍び笑いを漏らすと、革靴の底が奏でる足音も高らかに店番台へ引き返して、得意げに真っ赤なラジオを持って戻ってきた。

「一見すると何の変哲もない普通のラジオではあるんだが、こいつは珍しい舶来の品です。この辺りじゃ勿論、限られた所でしか流通していない。しかも元々の生産数も少ないレアものさ。価値のわかる奴らの間じゃ特に高値で遣り取りされている」

「じゃあ、これを貰おう」

「……いやいや、ほんとにこれでいいのか?」

 滑らかなセールストークから一転。あっさりと購入を決めた相手を、まじまじと見つめる。雑多に置かれた品の中には、このラジオより遥かに貴重なものが沢山ある。それを分からぬ相手ではあるまいに、なぜこんなちっぽけなラジオを欲しがるのだろうか。

 しかも、自分はまだ値段を言っていないのに。

 試しに古物屋は無言で、懐から手帳の切れ端を取り出し、ペンで値段を書き付けた。それは、この店で扱う最も重量のある金のネックレスとほとんど同じ値段である。客人はやはり、さっぱりとした表情で首肯した。

「それが提示金額なら、払うぞ」

「……あんた、ぼったくられてるって自覚あるかい?」

「品物の値段は店が決めるべきだ、客の俺が決めるものじゃない。それに対して不当だと思ったら、買わずに帰れば良いだけの話だからな」

 柔らかに唇へ笑みを描いて、それに、と賓客は丸っこいラジオを見下ろした。

「きっと誰の手元にあっても、今まで大事にされてきた品物なんだろう。その愛着に見合う対価だと思えば、けして高いとは思わない」

 

 暫くの間があった。

 古物屋は狡猾な商人である。一部では彼を詐欺師と糾弾する者も居た。美味い話はけして逃さない。言うまでも無く、騙す方も悪いが、騙される方にだって無知という落ち度があろう。

 ――だが。

 重い重い溜息と共に、古物屋は無言で相手の腕に、電源をオフにしたラジオを委ねる。今度はたった一度でスイッチは切れた。小切手を取り出そうとする客の動作を制する。

「あんたにとって、今回の旅は良いもんだったんだろう? え? ここは観光地だからな、最後までサービスしてやるよ」

「……いいのか?」

「あんまり聞き直されると、俺の気が変わるかも知れんがね」

 会話はそれっきりだった。騙そうとしていた店主を責めるでもなく、逆に礼まで言い置いて、ラジオを手に客は店を出て行った。戸に手を掛けるまでもなくすらりと開いたのを店奥から見て、いつからアレは自動ドアになったのだかと怪訝に思ったが、なんて事はない。外で待っていたらしい従者の仕事だった。

 ラジオの鳴り止んだ店内には、ただ静かな残光だけが降り積もる。じきに夜が訪れて、今の客人とも暫くのさよならだ。

 彼のエリアルハーツでもあのラジオはちゃんと、異国のヘルツを拾うだろうか。科学技術とは無縁の地であっても案ずる事勿れ。あれは電気や電波が無くとも勝手に喋り出す、人間好きの奇妙な絡繰りなのだ。

 カウンターの安楽椅子に腰を下ろすと、引き出しからよれた煙草を取り出した。

「今後ともどうぞご贔屓に、オリビア陛下」

 

 

 創作サイト『巣鳥館』開設5周年企画

 コラボSS『夕焼けラジオ』

 オリビア・ハートネスさん(原作者 佐内佐那さん)